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幻の球場・洲崎球場の歴史たどった本が好評-会社員が1年かけ調査

森田さんの著書「洲崎球場のボール際 プロ野球の聖地に輝いた一瞬の光」

森田さんの著書「洲崎球場のボール際 プロ野球の聖地に輝いた一瞬の光」

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 現・江東区新砂1丁目あたりにあったといわれている「洲崎球場」について調査した森田創さんの著書「洲崎球場のボール際 プロ野球の聖地に輝いた一瞬の光」(講談社)が話題となっている。

著者の森田さん

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 同球場は1936(昭和11)年、現在の新砂エリアの海岸沿いに建てられた。第二次世界大戦時、付近一帯が焼け野原となり、正確な場所と大きさはわからず「幻の球場」と呼ばれる。使われなくなったのは、場所が埋め立て地のため水はけ悪かったため、といわれている。わずか3年ほどで姿を消した同球場は、日本野球界の始まった場所として、巨人軍のエース故・沢村栄治さん、故・川上哲司さんが活躍したことでも知られている。

 同球場を1年にわたり調査した森田さんは神奈川県鎌倉市の会社員。野球少年で、中学時代はピッチャー。多くの野球関連書を読む中で、「洲崎球場、そこからプロ野球の歴史は始まった」というくだりが頭に残っていたという。年月がたち、社会人として多忙を極める中、雑誌で「消えた球場」として同球場の文字を見つけ、記録が残されていないことを知ったという。仕事以外に熱中できることを探していたこともあり、2013年1月から同球場の調査を始めた。ネット検索、江東区役所、警察、野球殿堂博物館などを当たってひたすら調べ続け、当時のスクラップブックで記事を読み、写真を見つけて実在していたことが判明した。

 調査の過程で、同球場では野球以外にもさまざまな催しものが開催されていることが分かった。当時、付近に学校に全校児童が1000人超、在学していたといわれ、運動会を校庭では行えず、球場で開催していたたという。森田さんは「当時の下町の勢い、のびゆく江東地区の人々の暮らしが垣間見え、野球は工場などで働く下町の人々の娯楽だった様子がうかがえる」と話す。

 森田さんは、当時の写真を基に建築士に同球場の模型を依頼。2013年7月完成。渋谷のギャラリーで模型の展覧会も開催。同模型の完成で新聞社からも取材を受けた。

 取材記事を見てはがきをくれた人たちとも直接会い、洲崎球場で実際に試合を見た話を聞いたことも。森田さんの調査を知る周囲の応援もあり、出版を考えるようになり、取材を受けた新聞社の記者に相談、出版元となる講談社の学芸局局次長・中村勝行さんにつながる。中村さんは「昔の時代に関することが好きだったので」と関心を持って企画を聞いたという。その後、森田さんは休日返上で原稿を執筆し、出版に至った。

 森田さんは、故・川上哲司さんに窓口を通じて取材し、川上さんの言葉も収められている。模型完成時の記事を通じて知り合った人への取材も盛り込み、同書は史実としての深みが増している。

 中村さんは「大手新聞社各紙・週刊誌・その他から取材が立て続けに入っている」と話す。各誌の書評にも多く取り上げられ、ネットでの売り上げ順位で1位になるなど評判は上々。

 今後、作成した模型は江東区役所に置かれる計画が出ているという。森田さんは同球場で活躍した後、同戦争で亡くなった選手がいたことから「戦争と野球というテーマで執筆する構想を持っている」と話す。
価格は1,500円(税抜)。

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